2017-05

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大晦日~あけましておめでとうございます

今年も残す所わずかです。今、紅白が終わったばかり。多分これを書きながら新年を迎えるでしょう。
北島三郎さんの紅白ラストステージを見ながら、感慨深かったです。紅白に50回出場するという事は、今の若い人には、あまりその長さの実感がないかもしれませんが、私位の年代の人ならば小学生位から毎年見続け、その歌を聴き続けて来たのですから、ほぼ自分の歴史?!と重なるのです。それが仕事をしていた人達は、もうリタイヤし始めている、主婦ならば子育ても一段落して来ている。その長さはすごいものです!!

私も若い頃のピアノの事について、ちょっと書くつもりが少し長くなっていました。実を言うと、もう1,2回程その続きを書いて区切ろうと思っていたのですが、この師走に入った途端、親類が次々に入院、何やら慌しく年末に突入しました。
何とか一区切りがつき、例年通りの我が家のおせちを準備、新年を迎える所です。
はい、新年に入りました。おめでとうございます!!

昨年、私も有難い事に一挙に二人の孫に恵まれ、おばあちゃんになりました。そしておばあちゃんとしての喜びを味わえる事に感謝の気持ちでいっぱいです。赤ちゃんというのは、その存在だけで周りの人を幸せにするのですね。
例えば赤ちゃんを抱いた娘と電車に乗っていたり、お茶したりしていると、そのそばにいる特に中年やお年寄りの人に多いですが、誰もが微笑んで赤ちゃんのしぐさを見ていたり、話しかけて下さったりするのです。
自分が子育てをしていた時より、赤ちゃんの存在のすごさを強く感じます。
自分もおばあちゃんという、母親より直接的でない立場になったので、余裕を持って見る事ができるかもしれませんね。

さて私は今年はどういう年になるのでしょう。自分としては作曲については「初心」にかえって取り組みたい気持ちがありますが、さてはて自分の思い通りにことが進むかどうか・・・歳を重ねるという事は、あらゆる意味で様々な困難も増えて行くものなので・・・けれど恐らく今まで通りに少しずつ歩みを止めない、隙間を見つけては作曲して行く事なのだろうと思っています。では皆様、良いお年を!!
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最初のピアノの先生 その7(中学時代)

そういうものなのかもしれない。私は今、いつでも自由にピアノを止められる環境になった瞬間、今までかれこれ10年、4歳の頃から二週に一度はピアノのレッスンを続けて来た事を思い出していた。

I先生のご実家はお医者さんの家で、かと言って、すごい外車があったりという様な派手な雰囲気なんて一つもないお家だった。
古びた木の家の玄関を上がり、右の部屋の扉を開けると、手作りのスリッパが並んでいた。
それは、クロスステッチという昔はやった刺繍で、黄や赤のバラの花の花びらが、微妙な色合いを変えた糸で一つ一つ丁寧に縫われていた。緻密な作業は花を立体的に見せるので、私はその事に何故かピアノ以上に興奮していた。レッスン室に入って挨拶をすると、先生はいつもめがねの奥からちょっとだけニコッとして「こんにちわ」と仰るけれど、前の人がものすごく怒られていると、おそるおそるドアを開けて入っていた。

レッスン室には、窓ガラスから西日が差し込んでいた覚えがある。午後のレッスンの事が多かったからだろう。
廊下の奥の部屋はいつもシンとしていて、本や、手芸や音楽を好む静かなインテリのお家だった。
でも、なんというか・・・恥ずかしい事に私にはあまりレッスンした曲の思い出がない。イタリアンコンチェルトという曲を小学生の頃、発表会で弾いた記憶位だけだ。

実はあれから半世紀?!以上経った今でも、私はまだ当時の楽譜を数冊捨てずに持っていて、楽譜の値段も百何十円?!とか驚くばかり!当時の先生の楽譜への書き込みに胸が熱くなる・・・

そういうレッスン室の空間や、断片的な発表会の記憶しかないのに、とにかく続けて来たという事だけは残っていた。
止めるってすごく簡単な事なのだ。止めた瞬間に今まで積み上げて来た事も、全部終わりになる事だけは、はっきりしている。だんだんそうやって時間を巻き戻していると、自分の気持ちも落ち着いて、見えて来た。

「ピアノも音楽も今は楽しいとは思えない。けれどとにかくずっと続けて来た。だからこれからも多分ずっと止めない。」
自分のピアノへの気持ちが底に着きそうになった時、遂にUターンして気持ちが上がり始めた。今度ばかりは逃げる気がしなかった。

最初のピアノの先生 その6(中学時代)

遂にピアノを続ける事に限界を感じたある日、私はどこからか帰って来た母親を、玄関で呼び止めた。
「ピアノ、もう止めたいんだけど・・・」
「・・・・・」
母は、遂に切り出されたかと言う様な顔をした。
「お母さんは、大体何で子供達にピアノを始めさせたの?同級生のI先生が生徒を集めていたから?」
私がそう聞くと母はこう答えた。
「それもあるけど自分の経験からよ。私は小さい頃、ピアノを習った事がなかったから、ピアノが弾けたらいいな・・・と思って大きくなってからちょっとだけ習いに行ったのよ。でも上手くならなかった。ピアノって小さい時からやらないと駄目だって、その時、心底思ったの。だからIさんがピアノを静岡でも教えるという話を聞いて、いいチャンスと思って子供達に始めさせたのよ。」

「でもね、今、本当にピアノがイヤ。止めたいんだけど・・・」
と私が言うと、母はしばらく黙っていて、こんな風に答えた。
「まあね・・・いつかそう言って来るだろうとは思っていたけど。ただね、女の人が例えばこれから学校が終わって結婚してってなって行くとするじゃない?その時に、なんか自分のものがあるといいと思ってね。
ま、それがピアノで良かったかどうかはわからないけど。でもまぁ、そう思って始めさせたら、あんただけが今日までずっと続けて来たから、このまま行けばと思っていたけれど・・・仕方ないわね。そこまでイヤなら好きにしなさい。」

人間って不思議。もし「何、言っているのよ、ここまで続けて来て。止めちゃったら駄目でしょ!」
と言われたら、その瞬間に私の中のダムは決壊し、そこでピアノは終わっていたかもしれない。
けれど「女の人がこれから・・・何か自分のものがあるといいと思って。」
の、くだりは妙に自分の心の中にグイと食い込んで来た。

母は若い時、確か十代で母親を亡くしているのもあってか、子供にも自分の事は自分で考えてやりなさいタイプであった気がする。我が家は人の出入りも多くて、母は毎日の様に人の世話や相談、用事等に明け暮れていたので、普通の母親というよりはどこか公人?という様な感覚も私にはあった。だから今回の事も所詮自分で決めるべき事だから、とは思っていた。けれど黙って止める訳にも行かないし、思わず気持ちをぶつけていた。
すると、この時母は、私の悩みを受け止めてくれて、自分の経験を話し、さらには直球を投げて来た気がする。
「自分が一生向き合えるものを持ち続ける事は大事じゃないの?」
正面から問いかけられた思いがした。
しかも、最後に「止めてもいい。」の逃げ道も作ってくれた。
でもこの時、私は完全にむしろ逃げ道を失った!

最初のピアノの先生 その5(中学時代)

その後先生が、例の千葉の生徒さん達と、今度は発表会でなく、勉強会をやると言い出した。
それは、それぞれが違う曲を弾くのではなく、3~4人の同い年位の子で同じ曲に取り組んで、聞き合い、勉強してお互いを高め合おうというものだった。
とてもいいアイデアかもしれない。今、こうやって大人になれば、自分は自分なので、恥は掻き捨てても自分を高める為ならば飛び込んで行けるかもしれない。(いや、やっぱり無理かな?)
けれど、この時の率直な気持ちを言えば、勉強会なんて本当に余計なお世話だった!これは感じやすい思春期の子にはキツイ話だ。
プログラムを見せてもらったら、私は、ある3人グループの中に入っていて、私以外はいずれもあの優秀な千葉組の二人・・・ほら、あの私より年下のとーっても上手い子と、もう一人は確か私と同い年で、ともかくもソツなく弾きこなす感じの人だった。ガーン、見ただけで真っ暗な気分になって落ち込んだ。

辛い時には、それを乗り越える事が大切だと言う人もいる。それも一理あり。けれど人間、本当に、芯からそれが辛いなら、サッサと逃げるに限る。人生は多分両極面を持っているので、
「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」もあるけれど「逃げるが勝ち」もある・・・と、勝手に屁理屈をつけ、迷わず私は後者を選択した。

そして母におそるおそる切り出した。
「今度の勉強会とやら、出たくないんだけど。」
「・・・・・」
母はしばらく黙っていたけれどこう答えた。
「私は出た方がいいと思うけれど、出ないのなら自分で先生に連絡しなさいよ。」
迷う事はなかった。すぐに自分で先生に電話をして「すみませんが、私は参加しません。」とはっきり伝えた。先生は落胆し、「これは優劣をつけるものではないのだから、主旨を理解するように。」
と、さんざん私を説得にかかったけれど、断固譲らず結局断ってしまった。
その選択を今もって後悔はしていない。むしろあの時、私は何だか「匙(さじ)加減」というものが少しだけわかった気がする。多分あの時、無理して「勉強会」に参加していたら、
私は音楽をこ~んなに長くやっていなかったかもしれない。

最初のピアノの先生 その4(中学時代)

そのうち中学生になる。一応止めずに一人でピアノのレッスンに通っていたのだけれど、もうこの頃には私の姉や、いとこ達も次々止めてしまい、一人っきりになった感じだった。
だんだん勉強も忙しくなり、部活もあってヘトヘトになるし、ピアノは更に難しい曲になって来るわで、もう手が回らず、本当に嫌になって来ていた。中学2年位になると進路や受験の事も、そろそろ考えなくてはならなかった。
地元の県立高校に行くのならそこまで慌てなくてもいいのだろうが、私の場合は東京の私立高校を受験するかもしれなかったからだ。上の姉やいとこ達は、既に受験をして親元を離れて、寮に入り、東京で高校生活を送っていた。

いい加減に練習して行けば、厳しい先生なので当然怒られる。それもイヤだから当日までに何とか形をつけて、その場はしのぎ一応レッスンには行っていた。
こういう時、根っからのピアノ好きならば、課題もそれなりに乗り越えられる様な気がする。「自信」+「好き」の相乗効果は無敵。降りかかる困難に負けず、やり遂げて結果を出すサクセス・ストーリー。

あーやなこった!私の場合はその頃、そこまで音楽やピアノに執着がある訳でもなかったし、楽しいとも思えず、やっている意味もよくわからなかったので、練習はどんどんテキトーになって来た。
「レッスンに行き、とにかく続けていればいいでしょ!」ともはや居直り。譜読みもろくにせずレッスンに行き・・・

先生も私のそんな状態はわかっていたようだけれど、ある日、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。
「どうしたっていうの?!今まできちんとそれなりにやってきたじゃないの。私が言いたいのは、すぐ出来る、出来ないの問題じゃないの。それ以前の気持ちよ。今のあなたにはヤル気が全く感じられない!」
音楽に全身全霊を捧げて来ている先生だ。音楽に私がいい加減な気持ちで向かっている事自体がどうしても許せなかったのだと思う。
本当にその通り。その通りなのだけれど、遂に私もプッツンしてしまった!その言葉が終わるかどうかで立ち上がり、楽譜を全部そのままにしたまま無言で部屋から脱走した・・・「何?ちょっと・・・待ちなさい。」の先生の声も全部後ろに残して。

それまでそんな事を一度もしない子だったので、この行動は先生をビックリさせたらしい。それからしばらくレッスンを休んだか、その後、多分先生の所に謝りに行ったとは思うけれど全く覚えていない・・・ただ、ピアノは封印したい位、嫌な時期だった事には間違いない・・・

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