2011-04

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はまゆり

はまゆり
東日本大震災の話です。写真は深澤光氏撮影(本人の許可を得てアップしています。)
この船は主人の知人の深澤氏が現場の大槌町に行って撮影したもの。

昨日、TVでたまたまこの船について放送していました。
釜石にあった観光船が津波に押し流され、2階建ての民宿の屋根の上に乗っかってしまったそうです。
最初にこの映像を見た時はかなりショックでした。
TVや新聞で何らか映像や写真を見ても、現場で復興に携わっている方からのリアルな写真は初めてで・・・

15年位前の夏、三陸海岸に行き、その時、リアス式の海岸というものを海から見てみたくて、観光船に乗った。
船が港から出発すると、どこからともなく鳥の群れが現れ、船尾から餌を放り投げると、器用にキャッチする。
それも驚いた事に、群れは勝手に押し寄せて我先に餌を取りに来るのではなく、一列に空中で順番待ちをしていたのだ。そして1羽がキャッチしてその場をサッと離れると、次の鳥が前に出て来てこちらに正面で対峙する。船は止まっている訳ではなく、どんどん先に進むので、空中で絶妙な距離を取りながら、餌を待っているのだ。人間が次に何処に餌を投げて来るのか、じっとこちらを見つめて来るので、何だか緊張してしまう。つい力が入り過ぎて鳥まで届かず、餌を海に投げ落とそうものなら、必死で水面まで急降下して拾おうとする。
三陸海岸というと、そんな子供の様に夢中になった思い出がある。

地震が来るずっと前の三陸の映像で、観光船がお客さんを乗せて出航すると、ひらひらと、鳥の群れが船にくっついて飛んで行き、昔の事が蘇り、胸が痛くなった。

深澤さんは、この「はまゆり」を震災のシンボルとして残したいと語っていらした。
私も同じ事を考えていた。

ただTVでは、やはりこのままでは、何かあったら危険だとも話していた。
すると、ずっとこの船の船長さんをしていらしたという、刈谷さんという方が出ていらして
「危ないからもう早く取り壊して下さい。」と
結構きっぱりと仰っていた。

長く長く一緒に毎日を共にして来た船だ。
こんな無残に打ち上げられた姿を、見るのも辛いだろう。

一見、まだこの船は使えるのではないかとも思うのだが
百t以上あり、実際どうする事も出来ないとか。
しかも又、余震か何かで人の命でも奪う様な事でも起きたら・・・

「はまゆり」は、もうまもなく解体処分されてしまうという事である。
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アリからキリギリスへ

「アリからキリギリスへ」という曲は、どうしてそんな曲を作る気になったか、今でもよく覚えていません。
FM世田谷に出演した時、今、試聴出来る2曲「アリからキリギリスへ」と「桜の小径」の事について少し述べているので、それを聴いて下さってもいいのですが、補足も含め、今日は「アリからキリギリスへ」について少しお話しましょうか。作詞のコーナーに詞がありますからそちらもどうぞ。

イソップのお話の「アリとキリギリス」これは勤勉なアリはしっかり食べ物を蓄え、歌に現(うつつ)を抜かしたキリギリスは冬が来たら備えがなかったばかりにヨレヨレになる・・・この「備えあれば憂いなし」は最近で言えば今回の地震の後、街中で見られた買い走りに象徴される様に、やはり何事もわかっているつもりでいても、ついつい事が起きてから慌てる。備えていない人が多い事を物語りますね。

けれど自分の幼心に強烈に焼き付いたのは、その「教訓」の方ではなく、本の挿絵のページいっぱいに描かれた、大きな大きな一匹のキリギリスの姿でした。ボロボロの衣服を身にまとい、何故かヴァイオリンを手にし、目はうつろ、呆然と家の戸口に立ちすくんでいる。ものすごーく悲しげで哀れでした。一方アリはと言えば、小さく小さく何匹も描かれ、それも多分それはアリの家の中、暖かい部屋の中で楽しげにおしゃべりをする者あり、戸口のキリギリスを見つけてビックリしている者あり・・・
イソップ童話は数あれど、なんでこのシーンが半世紀も過ぎても(歳がバレル!)忘れられないのか?!

キリギリスは私に言わせれば音楽家の訳で。別に音楽がなくても世の中は衣食住で回って行くのかもしれない・・・けれどキリギリスには音楽しかなくて。これで食べて行くのは大変だけれど、時には聴いている人を涙させたり勇気を与えたり、それがかけがえのないものだから、のめり込んで気づいたら何もないかも・・・
モーツアルトでも、チャイコフスキーでも、パトロンという支えなくしては偉大な作曲家は存在しえなかったと思うのです。許して下さいね。偉大な音楽家を誰もキリギリスに置き換える訳じゃありませんが・・・説明上。

あれ?話がすごくなって来ちゃった!元に戻します。で、私の「アリからキリギリスへ」の曲の中のアリは、簡単に言うと「サラリーマン」をあらわしています。偉そうな女上司(女王アリ)の一言にプッツンしたアリは怒りの勢いで何も考えずに会社を飛び出してしまう。何の見通しもないまま・・・元々そんなにやり甲斐を感じていた職場でもなく、生きる為、家族の為働いて来た。
でも采は投げられた。組織から飛び出ちゃった。一粒の涙でアリのお腹はふくれている。

人は勝手な事を言う。アリは働き者だって。西洋アリがすべて働き者かは知らないけれど、日本アリは特に真面目だから自分もそうだろうと人は言う。ほら、背中に背負っている荷物だって、冬に備えて準備万端だろうって。
バカ言っちゃいけない、アリの気持ちも知らないで。アリだっていろいろいるのだ。背中に背負っているのはギター。ふっと思い出したんだ。キリギリスって奴を。あいつはとにかく歌ってばっかりだったけれど、とにかく自分の好きな様に生きていた。少なくとも自分にとって今一番会いたい奴さ。今、自分の眼の前は踏み潰されるかもしれない巨大な渋谷のスクランブル交差点が広がっている。でも渡ってみせるさ、だって向こう岸の自由な世界に、きっと君は暮らしているんだろう?会いたいな、君に。会えたら肩組んで一緒に歌、歌おうよ♪

実はこの曲、葉月さやが歌っているミュージックレストランで披露しました。そうしたら、カウンターで一杯傾けていた男性がすごく気に入ってくれました!その事がとても嬉しかったです!

桜の小径

 
また桜と言われそうですが、今、世田谷桜新町の八重桜は満開です!
 
私はあんまり八重って、ヴォリュームはあってもソメイヨシノの様な風情が感じられなくて、昔はイマイチだったのです。
 
が、「サザエさん」で有名なこの町、全国にゴーストタウンが増えている中、商店街の活気が依然衰えないこの庶民的な町には八重桜が実に良く似合うと思っているのです。
ちなみに、圧巻はこの八重桜が散る時…風に吹かれた花びらは、まるでピンクの絨毯のよう…
いろいろな思いを込めてここで作った桜の曲があります。
それが「桜の小径」
作品の作詞のコーナーで試聴出来ます。お時間ありましたらお聴き下さい。プレーヤーの画面が出ましたら、最小化してお聴き頂くと、歌詞を見ながら試聴する事が出来ます。

浅草

 
誰の手かな?
浅草に行くと、あまり見た事のない景色に出会う。
 
これは八千草薫さんの手形。通行人は思い思い、気になる俳優さんの手に自分の手を重ねている。女優さんの手は、私の手より小さい人が多かった。
 
あ、吉永小百合さんだと手をのせた主人。なにおっと言いながら、一瞬、私も加藤剛さんの手に吸い込まれた
 
どっちにしても古いかも!でも若い頃キラキラ輝いていた俳優さん達(すみません…今もですが)を同じように知っていてわかる。そう言えば私達世代が知っている俳優や芸人、歌手等ばかりだった。ビートたけしさんはわかると思うけど、若い人達はこの中で何人わかるのかなあ?

さくら

友人からの数時間の花見のお誘い。8日金曜日は雨になるかもしれないからと、7日の木曜日の午後に出掛けた。
砧公園~成城へ。世田谷区は桜が多いかも。丁度満開だった!少し風があったけれど、それでも暖かな良いお天気に誘われるように、公園は平日にもかかわらず、大勢の人で賑わっていた。家族連れ、主婦のお仲間、若者のグループ、お年寄り等、様々な人達が思い思いにお弁当を広げてしゃべったり、昼寝をしたり・・・
私達も芝生に腰を下ろし、持って来たおにぎりやお寿司をほおばる。こんな何でもない事が、なんて今年は幸せに有り難く感じることか・・・
被災者の事を思うと、何だか申し訳ないような気もするけれど、東京の人達もこの一ヶ月、テレビを見て、重苦しい日々を過ごし、品不足、水不足や、毎日の様に続く余震や、先の見えない福島原発やらで緊張の連続だった。
去年桜はもう少し早かったが、今年は4月。いつに変わらぬやさしいピンク色が気持ちをやわらかくしてくれる。
成城に向かう道は川沿いの桜が水面を覆うように枝をのばしている。水鳥もいて、又違うあじわいがある。
この頃は随分、川をきれいにする動きがあって、すてきな散歩道が増えて来たような気がする。

いよいよ4月になったけれど

いよいよ4月になったけれど・・・地震による日本中の深い溜息が以前流れています。

巨大地震、津波、余震、福島の原発問題、第一期はスーパーのミネラルウォーター、トイレットペーパー、ティッシュ、卵、納豆、ヨーグルト、牛乳、パン、電池等が瞬く間になくなりました。ガソリンも整理券をもらって入れたりしました。もうこういう時、我が家では子供も自立しているし、慌ててパンも牛乳も要らない、水も買い置きがあるし・・・としばらくおとなしくしていましたが、やはりスーパーも午前中行けば、結構品物があるので、
5~6日過ぎた所で、各家庭パン1斤、牛乳1本の制限つきの品物を手に入れて帰って来ました。
でも、それから比較的早く、パンはすぐ店頭に並ぶようになりました。

節電も始まり、娘の仕事先は何度か遭遇し、正直仕事にならないと言っていました。
何故か、我が家の付近は停電はなく、一度大規模停電になるかも・・・との情報をテレビでいち早く知ったので、早々に夕飯の用意をして構えてみたものの、何も起きませんでした。

そして、てこずっていた3号炉に、ハイパーレスキュー隊の決死の放水があり、後で突入した人達の会見があり、
何だかジーンと来て、心から「どうもありがとうございました。」と思ったものでした。
「日本の救世主になって下さい。」と送り出せる奥様も心構えが違うなあと・・・
これで一件落着かと思ったら、残念ながらまだまだ今現在福島の問題は続行中です。

日本は放射能汚染に対する基準が厳しいので、そこまで心配する事はないと学者がテレビに出て来て説明します。
けれど、やはりコトがコト。自主避難が始まったり、汚染物質がほうれんそうに付着しやすいとか、そういう話が出て来ると、風評被害で福島、茨城の野菜が売れなくなりました。東京都の水にも汚染物質が測定されて、乳児には、水道水を使ってミルクを飲ませないように(甲状腺がんが起きる恐れあり)との情報が出ると、今や、いったん出回り始めたミネラルウォーターが急に手に入らなくなりました。もし今を2期とするならば、今東京で手にはいりにくいものは、ミネラルウォーター、牛乳、納豆、電池かな?地域にもよりますが。

テレビではACというコマーシャルが繰り返し流され、私はその中に苦手なものもあって、参りました。
人間って、繰り返し何かをすり込まれると、たといその内容が良いことを言っていても、時に「もうたくさん!」ってなりません?あれだけ繰り返すのなら、その間、被災者で各避難所にいる方々のお名前をわかるだけでいいから伝え、静かなクラシックでも流したらいいじゃありませんか!電気が来ていない避難所でも、近くの電気が届く地域の人から「名前を見たよ。」と言って情報が入るかもしれません。
ただ、このACを見て、やはり席を譲るようになったとインタビューで答えている若者もいました。

確かに・・・辛い出来事なのだけれど・・・日本人の忘れかけていたものを気づかせてくれる事は多いですね。
私も、5,6枚着込んで暖房を消したら、子供の頃は寒くてしもやけにもなったし、こんな厚着もしていた・・・と思い出しました。
暗くなったら食事して寝る、という山小屋のパターンであれば、電気はあまり使わないかも。私は時々山登りに行くのですが、山のリュックに詰めているものは、かなりこういう非常時に頼りになります。
例えば両手の使えるヘッドランプ、あたたかいダウンウエア、ガスコンロ。

そして、やはり皆でつながろうという気持ち。今、一つ私には、どうか上手く行って欲しいと思っている事があります。被災地ではお風呂をの為の熱源を欲しがっていて、主人の知り合いから、そのメールが届きました。被災地は当然ながら、オイルも、電気もガスも使えない所ばかりですが、主人の会社の倉庫に1基、薪(まき)炊きボイラがあって、これがかなりのお湯が供給出来るもの。
これを何とか被災地に届けて、お風呂に入って欲しい・・・
それが思いだけでなくいろいろな人の協力があって現地に届き、実現しそうなのです。
もしその経過がわかれば、またご報告します。


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