2012-12

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

気がつけば年末

陶器の町への旅行の記事以来ご無沙汰していました!

今、あと数分で0時、という事は今年のクリスマスもさようならですね。
皆さんはどう過ごされました?
我が家は24日は自宅で主人と過ごしました。子供も大きくなり夕食も要らない。「もう私達二人なら、なんだかんだと作らなくてもいい。」という面倒な気持ちを突然振り払い、オードブルからスープ、ローストチキンに付け合せ、サラダと、まあデザートだけは果物で済ませてしまいましたけど、一通り頑張っちゃったので、「クリスマスだけれど、悪いけど、もしかしたらお鍋!」と予告されていた主人も「おおっ?!」と驚きの顔をしておりました。

まーこの12月はいつになく忙しかったのです。出る事も多くて、そうへこたれない方の私でしたが、さすがに疲れがたまっていたのだと思います。久々上京した友人に会いに行った日が、結構風が強くて寒く、そのあと駅の人混みの中を歩いたあと位から、冷えでさすがに胃腸に来たのだと思います。まあ、そう大事にもならず、じき直ったから良かったのですが、あまり食べる気にならないというのは、元気がない、やる気にならないという事ですね。本当につまらない・・・お腹が空く、食欲があるという事自体がすごく元気な事なのだとあらためて実感。これ、元来胃腸の弱い人は、本当に辛いと思います。調子が悪かった時は「クリスマスは、野菜中心のお鍋で胃腸に優しく乗り切りたい気分」の私だったのです・・・ところが、クリスマス少し前にめでたく全快。という訳で、健康に感謝、美味しいものを味わったり、料理したくなる気持ちにも感謝して、ちょっとクリスマス気分でお料理を盛り付けました!!

という訳で、気がつけば今年も、もうあと1週間もないっ!!大掃除やら、毎年の白菜漬けや、正月準備に入らねば・・・という訳で、皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい。
スポンサーサイト

伊万里6


そして長い登り窯。
 
佐賀藩は外様の藩。という事は、関ヶ原の戦い以前から徳川幕府に仕えた譜代大名に比べ、幕府との関係が密な藩ではないのですね。
佐賀藩の鍋島家は秀吉の命で朝鮮に出兵し、陶工を連れ帰って焼き物が盛んになって行ったという。
 
鍋島焼きは御用窯、つまり幕府への献上品や公家の贈答品や日常品として焼かれた物で、高い技術で描かれた赤、黄、緑の色の絵付けが特徴だ。
 
職人の技術は代々受け継がれ、門外不出。他の藩に抜け出そうとしたら首切りの刑になったというのだから恐ろしい。
 
そんな話は、ベネチアングラスの製法が絶対秘密で、聞いた事がある。
 
そういう質の良い焼き物を献上する事で、外様藩でありながら、幕府から一目置かれていたようだし、一方では、オランダ東インド会社との貿易で富を得て行く。初日に見た伊万里津(港)付近も、当時はどんなに賑わっていただろうと想像する。
 
そして現在。
買うつもりで来た訳ではないものの、一応何軒かお店を老舗を含め覗いてみた。が、特に老舗の伝統的手法のものは大変高額だ。一般人が行けばそれは当たり前な事である。ただ金額だけではなく、デザインだって必ずしも古典的なものが、現代人の誰も彼もに好まれているという訳でもない。
 
…しかしそうなると、作り手はこれからどうやって伝統と関わって行くのか?
 
現代的で使いやすく、そこそこお手頃な価格ならば、売れるかもしれないけれど本来の伝統って何なんだ?
 
じゃ、技術を駆使して、自分の想像力を余すところなく掻き立てた素晴らしい作品を作ったとしても、御用窯というような強力なバックアップなしでは、どうやって生計が立てられるのだろうか?
 
モーツァルトの時代ではないけれど、パトロンなしでは、深い芸術性の高い作品は生まれにくいかもしれない。ほどほどの時間的、経済的余裕がないと日常雑器は出来ても、芸術的な作品、そういう器は無理でしょうねぇ…といろいろ考えさせられた旅でした。

伊万里5


こんな陶磁器の破片で出来ている

伊万里3


これなら亀甲模様がわかりますか?陶磁器はあちこちに使われていて…

伊万里2

再び伊万里に戻り、鍋島潘窯公園に。展望台近くは紅葉が良かった。川を覗き込むと、何やらチラチラと白い亀甲模様が土手の壁に埋め込まれている。

有田

 
 
さすが陶磁器の町ですね展示品は撮影不可なので、こんな生活の場にも使われている所をパチリ。

伊万里

親戚とかねてより計画していた九州の伊万里と有田へ2泊3日旅行をして来ました。
 
ご存知の様にどちらも陶磁器で有名な町。昔、江戸時代に、遠くヨーロッパでは日本の焼き物は珍重され、財を投げ売ってでも買い求められたそうな…
 
昔の面影を残す家はもう、わずかしか残っていないけれど、伊万里津という港からも、それらの陶磁器は輸出されていた。(多分、主に磁器でしょう。)
 
この近くに伊万里川があったけれど、何処か故郷、清水の巴川に雰囲気が似ているのよね。その頃の巴川は外国相手ではなかったと思うけれど、昔は塩を運んだりと、商人の活躍した川だから、何か共通するものがあるのかもしれない。

«  | ホーム |  »

プロフィール

yuripeko

Author:yuripeko
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (43)
雑感 (29)
音楽 (23)
東日本大震災 (26)
映画 (1)
山 (21)
スポーツ (22)
行事 (8)
旅 (22)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。