2017-06

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年末もうすぐ~ドイツに関わり明け暮れた1年~

私があまり長い事、メールを書かなかったので、何かあったのじゃないかと心配してくれるお友達もいて、どうもすみません!!確かに~年頭は家族の入院騒動もありまして、病院通いしたり忙しくしていましたが、一段落してからはタイトル通り、かなりユニークな1年でした。

と言うのも、私には此処、数年来のドイツ人の友人がいるからです。
ことの始まりは娘の英国留学から。留学先の語学学校で娘はドイツ人の女の子と友人になった。そして休暇中にドイツのその子のお宅に遊びに行き、泊まらせて頂く程親しくなった。
すると、今度はそのドイツ人の女の子が日本の文化への関心が高くて日本にやって来て、我が家にホームステイした。
その間、お互いの母親はメールで様子を伝えたりして連絡を取っているうちに、今度は親同士がすっかり仲良くなってしまったという訳である。かくして、そのドイツ人親子さんは一度日本にやって来て、娘と共に奈良、京都を廻り、すっかり日本びいきになったのだが、今年また来たいという話になって。この話が出たのが春頃だったかな?!

秋の京都は混むし、3週間も滞在するというので、慌てて宿の手配をしてあげたりしているうちに・・・何処でそんな話になっちゃったのか?!ドイツの「黒い森」って昔から聞くけど一度行ってみたい・・・」確か私が何気に口走ったその一言がこんな事になるとは!「とにかくドイツにいらっしゃいよ!私がそっちに知り合いもいるから案内してあげる。」と言ってくれたその一言にフラフラと、思い切って10日少しドイツに行く事を決意、一人でフランクフルトに向けて飛び立ってしまいました!

これが7月初め。まぁ、たった一人で、しかも最近ほとんど喋っていない英語。そして彼女に出会ってから関心を持ち、少しはカタコトでもと思っているドイツ語も、まだ全然喋れるまで至っていない。けれど、どこか心臓が強いのか、平気なのか・・・電子辞書を持ってさえいれば、同じ人間同士、相通ずると思っているのね~

もっともこれは結論から先に言うと、人種と言うより、興味、関心が共通かどうかっていう事の方が優先されると思った。
たとい同じ日本人でも、本当に感性が違う、合わないという人はいる訳で、そこへ行くと関心事が似ている場合は、外国人だってむしろ近しい。一緒に笑ったり、考えたり、言葉を超えて分かり合えるものだと。

さて、フランクフルトに降り立ったら、友人は自宅から車でオートバーンを何百キロも飛ばして迎えに来てくれていた。
まず、それだけでクラッとする話だ。彼女は私より4,5歳年上ですからね~大阪から東京まで迎えに来てくれた感じじゃないかしら?その日は夕方到着したのだけれど、更に南下してハイデルベルグに宿泊。が、その前に、町を散策する事になり、ホテルに荷物を置いて出掛けた。早速彼女の講義?!が始まる。彼女は大学で建築を勉強していたので、どの建物がルネサンスで、どれがバロック建築かすぐわかるのだ。私は少し頭がクラクラしながらもそぞろ歩きを楽しんだ。
そして、ホテルで勧めてくれた地方色豊かな居酒屋に入って、レンズ豆の煮込み料理なるものを食べた。
何やら此処では、ある数人の何かのグループ・・・結社なのか、やや独特の雰囲気を持った男女がビールグラスを片手に肩を組んで歌ったり喋ったりと盛り上がっていた。観光旅行とは違う面白い光景に出会える。

そして次の日、ハイデルベルグの古城を見るのだが、このお城、言うなればフランスが攻め込んで破壊したそうな・・・
折りしも、ワールドカップをやっている事がずーっと気になっていた私。でも、彼女はあいにくスポーツには関心がない。
「戦争ではやられたけれど、サッカーでフランスに勝てて良かったわね!。」と言った言葉はすぐ理解してくれて笑っていた。
そしてその後、彼女の大学時代の夫婦のお宅でお昼をご馳走になるのだが、早速私のサッカー観戦好きはこの夫婦に伝わる事となってしまった。私がドイツに到着するなり、夜、秘かにTV観戦している事等・・・
このご夫婦も建築をやっていらしたというインテリで、まぁ一応サッカーは観たりもするけれど、そんなに強い関心はなし。
勝敗の話になると「そんな、そんな・・・すぐドイツは負けると思う。」なんて本場の人達が首を振って否定するのを、何故かムキになって「いや、絶対勝つと思う。今年のドイツは違う、強い!」と熱く語っているのは私だけで、どこか一人浮いていた。結局私に合わせる形で、このお宅で全員でビールを飲みながら観戦をしてくれる事になりました。

一番うけたのは、ディフェンスの「シュヴァインシュタイガー」という選手を私が知っていた事で、(別に日本でも良く知られている名前だと思うのですが)「おーっ何故その名前を知っているんだ?!」とものすご~くビックリされた事。
そう言われてみれば、クローゼやミュラーは知っていても何故?と思うかも。でも何故ドイツの他のディフェンスの選手ではなく、あの「シュヴァインシュタイガー」が日本では知られているのかなぁ?
ともあれ、ドイツはやっぱり勝利、ビールで祝杯で大盛り上がりとなりました!またドイツ旅行記続けるつもりです。

お久しぶりです

ご無沙汰というにはあまりという程、あきましたね~
いつも書くフィギュアやその他スポーツも、音楽の話題もぜ~んぶなし、
本当に何やかや忙しい日々ではありました。

師走から新年にかけていろいろあって、一段落した時、庭で犬の何やらけたたましい声が・・・
悪い予感。愛犬よ、お主、お前までもか?!
駆けつけると、我が家の愛犬(もう老犬です。私の年齢もとっくに抜きました。)が腰が抜けたように動けなくなっている。これは骨折か?!ただごとでないと抱きかかえて家に入れ、お世話になっている獣医さんに急ぎ連れて行くと、後ろ足の脱臼との事。
麻酔して1泊の手術入院となり、明日引き取りに来て下さいと言われました。

翌日行くと、手術は無事終了。後ろ足がはねあげられ、動けないよう包帯でグルグル巻きになっていて。
「なるべく家の中でじっとさせて、1週間したらまた連れて来て下さい。」という事で、家で同居。
トイレの時だけ気をつけて出してやると、3本足でバランスがうまく取れないまま、ヨタヨタと出掛ける。
1週間後、病院に行ってレントゲンを撮った所、経過は順調との事で包帯をはずしてもらって帰って来た。

何気に後ろ足をのぞくと「えっ?これは何?!」包帯で気づかなかったけれど、後ろ足周辺の毛が全部剃られていて、鶏のもも肉状態に。へー手術の時ってこうするんだ・・・と初めての事にビックリ。
寒かろうと思ったけれど、最近とにかく歳をとったので、夏の酷暑、冬の酷寒の日は家に入れてあげたりしているうちに、家の中のすっかり楽な生活に慣れ、暖房のきいている部屋でスヤスヤ。
何だか、犬から人間化して来た感じ・・・

「老化と闘うのには、人間も動物も変わらないのよ!私だって冬の間、山にも行かない、縮こまって作曲していたら足は衰える、体力も落ちるの。あなたももう直ったんだから、ちょっとは番犬していらっしゃい!」と扉を開けて追い出そうとすると
「何も・・・外は寒いのに結構でござんす。」
という眼をする。時には抵抗して無視し、全く出て行こうとせず。

それでもやっとトボトボ出て行くと、面白い事に、ずっと三本足でバランス感覚を覚えた所だったので、そのまま直った足を下ろさずに何日か過ごして・・・ハッと大丈夫な事に気づいたようで、今は庭を疾走しております。
疾走すれば、また年甲斐もなく脱臼するのではないかと、何だか我が身を重ね合わせるようにして眺める日々となりました。

2ヶ月以上経ち、もも肉状態の毛も復活、他の部分の冬毛が抜けかわっているので、見た目もスッキリ戻って来ました。
ちなみにその犬の冬毛は柔らかいので、私は捨てずに庭に洗面器を出して入れておくんです。
すると小鳥が見つけて、巣作りに使っているみたい。口にいっぱいくわえて飛び立って行く。
自然のサイクルってすごいですね。春です!

ところが、先日大きなカラスが舞い降りて、「それ以上無理。」っていう位に毛をくわえて、さらにまだ口にふくもうと
するから、そのしぐさが滑稽でおかしくて、思わず笑っちゃいました。「でも他の小鳥の事も考えてよ、欲張りめ!」と怒りたくなったけど、ふと見ると、向こうに奥さんらしいもう一羽が枝に止まっていたので、そっと黙っていました。
彼女と生まれて来るヒナちゃんの為に、君だって一生懸命頑張っているんだものね。

大晦日~あけましておめでとうございます

今年も残す所わずかです。今、紅白が終わったばかり。多分これを書きながら新年を迎えるでしょう。
北島三郎さんの紅白ラストステージを見ながら、感慨深かったです。紅白に50回出場するという事は、今の若い人には、あまりその長さの実感がないかもしれませんが、私位の年代の人ならば小学生位から毎年見続け、その歌を聴き続けて来たのですから、ほぼ自分の歴史?!と重なるのです。それが仕事をしていた人達は、もうリタイヤし始めている、主婦ならば子育ても一段落して来ている。その長さはすごいものです!!

私も若い頃のピアノの事について、ちょっと書くつもりが少し長くなっていました。実を言うと、もう1,2回程その続きを書いて区切ろうと思っていたのですが、この師走に入った途端、親類が次々に入院、何やら慌しく年末に突入しました。
何とか一区切りがつき、例年通りの我が家のおせちを準備、新年を迎える所です。
はい、新年に入りました。おめでとうございます!!

昨年、私も有難い事に一挙に二人の孫に恵まれ、おばあちゃんになりました。そしておばあちゃんとしての喜びを味わえる事に感謝の気持ちでいっぱいです。赤ちゃんというのは、その存在だけで周りの人を幸せにするのですね。
例えば赤ちゃんを抱いた娘と電車に乗っていたり、お茶したりしていると、そのそばにいる特に中年やお年寄りの人に多いですが、誰もが微笑んで赤ちゃんのしぐさを見ていたり、話しかけて下さったりするのです。
自分が子育てをしていた時より、赤ちゃんの存在のすごさを強く感じます。
自分もおばあちゃんという、母親より直接的でない立場になったので、余裕を持って見る事ができるかもしれませんね。

さて私は今年はどういう年になるのでしょう。自分としては作曲については「初心」にかえって取り組みたい気持ちがありますが、さてはて自分の思い通りにことが進むかどうか・・・歳を重ねるという事は、あらゆる意味で様々な困難も増えて行くものなので・・・けれど恐らく今まで通りに少しずつ歩みを止めない、隙間を見つけては作曲して行く事なのだろうと思っています。では皆様、良いお年を!!

最初のピアノの先生 その7(中学時代)

そういうものなのかもしれない。私は今、いつでも自由にピアノを止められる環境になった瞬間、今までかれこれ10年、4歳の頃から二週に一度はピアノのレッスンを続けて来た事を思い出していた。

I先生のご実家はお医者さんの家で、かと言って、すごい外車があったりという様な派手な雰囲気なんて一つもないお家だった。
古びた木の家の玄関を上がり、右の部屋の扉を開けると、手作りのスリッパが並んでいた。
それは、クロスステッチという昔はやった刺繍で、黄や赤のバラの花の花びらが、微妙な色合いを変えた糸で一つ一つ丁寧に縫われていた。緻密な作業は花を立体的に見せるので、私はその事に何故かピアノ以上に興奮していた。レッスン室に入って挨拶をすると、先生はいつもめがねの奥からちょっとだけニコッとして「こんにちわ」と仰るけれど、前の人がものすごく怒られていると、おそるおそるドアを開けて入っていた。

レッスン室には、窓ガラスから西日が差し込んでいた覚えがある。午後のレッスンの事が多かったからだろう。
廊下の奥の部屋はいつもシンとしていて、本や、手芸や音楽を好む静かなインテリのお家だった。
でも、なんというか・・・恥ずかしい事に私にはあまりレッスンした曲の思い出がない。イタリアンコンチェルトという曲を小学生の頃、発表会で弾いた記憶位だけだ。

実はあれから半世紀?!以上経った今でも、私はまだ当時の楽譜を数冊捨てずに持っていて、楽譜の値段も百何十円?!とか驚くばかり!当時の先生の楽譜への書き込みに胸が熱くなる・・・

そういうレッスン室の空間や、断片的な発表会の記憶しかないのに、とにかく続けて来たという事だけは残っていた。
止めるってすごく簡単な事なのだ。止めた瞬間に今まで積み上げて来た事も、全部終わりになる事だけは、はっきりしている。だんだんそうやって時間を巻き戻していると、自分の気持ちも落ち着いて、見えて来た。

「ピアノも音楽も今は楽しいとは思えない。けれどとにかくずっと続けて来た。だからこれからも多分ずっと止めない。」
自分のピアノへの気持ちが底に着きそうになった時、遂にUターンして気持ちが上がり始めた。今度ばかりは逃げる気がしなかった。

最初のピアノの先生 その6(中学時代)

遂にピアノを続ける事に限界を感じたある日、私はどこからか帰って来た母親を、玄関で呼び止めた。
「ピアノ、もう止めたいんだけど・・・」
「・・・・・」
母は、遂に切り出されたかと言う様な顔をした。
「お母さんは、大体何で子供達にピアノを始めさせたの?同級生のI先生が生徒を集めていたから?」
私がそう聞くと母はこう答えた。
「それもあるけど自分の経験からよ。私は小さい頃、ピアノを習った事がなかったから、ピアノが弾けたらいいな・・・と思って大きくなってからちょっとだけ習いに行ったのよ。でも上手くならなかった。ピアノって小さい時からやらないと駄目だって、その時、心底思ったの。だからIさんがピアノを静岡でも教えるという話を聞いて、いいチャンスと思って子供達に始めさせたのよ。」

「でもね、今、本当にピアノがイヤ。止めたいんだけど・・・」
と私が言うと、母はしばらく黙っていて、こんな風に答えた。
「まあね・・・いつかそう言って来るだろうとは思っていたけど。ただね、女の人が例えばこれから学校が終わって結婚してってなって行くとするじゃない?その時に、なんか自分のものがあるといいと思ってね。
ま、それがピアノで良かったかどうかはわからないけど。でもまぁ、そう思って始めさせたら、あんただけが今日までずっと続けて来たから、このまま行けばと思っていたけれど・・・仕方ないわね。そこまでイヤなら好きにしなさい。」

人間って不思議。もし「何、言っているのよ、ここまで続けて来て。止めちゃったら駄目でしょ!」
と言われたら、その瞬間に私の中のダムは決壊し、そこでピアノは終わっていたかもしれない。
けれど「女の人がこれから・・・何か自分のものがあるといいと思って。」
の、くだりは妙に自分の心の中にグイと食い込んで来た。

母は若い時、確か十代で母親を亡くしているのもあってか、子供にも自分の事は自分で考えてやりなさいタイプであった気がする。我が家は人の出入りも多くて、母は毎日の様に人の世話や相談、用事等に明け暮れていたので、普通の母親というよりはどこか公人?という様な感覚も私にはあった。だから今回の事も所詮自分で決めるべき事だから、とは思っていた。けれど黙って止める訳にも行かないし、思わず気持ちをぶつけていた。
すると、この時母は、私の悩みを受け止めてくれて、自分の経験を話し、さらには直球を投げて来た気がする。
「自分が一生向き合えるものを持ち続ける事は大事じゃないの?」
正面から問いかけられた思いがした。
しかも、最後に「止めてもいい。」の逃げ道も作ってくれた。
でもこの時、私は完全にむしろ逃げ道を失った!

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